2013年2月11日月曜日

葬儀を終えて

1月21日午後2時32分に父が永眠しました。24日にお通夜、25日に告別式を無事に執り行い、まだまだ残務処理を抱えているけれど家族はようやく落ち着きを取り戻しつつある。

2013 KOM

年末に投与された抗がん剤の副作用のピークが丁度お正月頃とされていたので、一時退院も出来ず、そのまま病院で年を越した。確かに副作用は1クール目のものよりも厳しそうではあったが、それ以上の問題が起きる。胸水が貯まり始めたのだ。

1月7日に医師から電話がありドレンというチューブを胸膜の中に入れて、貯まった胸水を外に出す処置を実施。ところがチューブの先端がタンパク質で塞がってしまい、思うように抜けて行かない。結局3度もチューブを差し替えることになった。水が抜けて行けば呼吸も楽になるようだが、水の貯まるスピードは日増しに増加を続けていて、排水が追いつかない事態に入って行く。

酸素吸入を始めて、何とか呼吸を維持させていたが、終盤は酸素濃度100%で流量は毎分15リットルを送り込む事になった。流量15リットルは病院の設備のMAXで、これで不足するようなら打つ手が尽きたという状態なのだ。

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マスクを外すと直ぐに血中酸素濃度が下がり始めるので、食事すらままならない。また流量15リットルもの酸素が常に吹き付けているため、声帯が乾ききっていて声が出せない様子。この頃から筆談が増えて行く。

たまたま4連休がもらえた娘が病院に張り付いて、献身的にサポートをしてくれ、本人もとても嬉しそうだった。

1月19日は仕事の全国会議だったが、いよいよ呼吸が辛くなって来た事でモルヒネの投与が始まる。僕は会議の前半だけ出て、急いで病院へ戻る。モルヒネを入れ始めたとはいえこの日はまだ、意識もはっきりしておりあまり、苦痛が緩和されているようには見えなかったが、翌20日には徐々に薬が効いて来た様子。

21日は朝から昏睡状態になり、お昼頃には看護師から血圧が随分低下して来ているので、身内の方は呼んだ方がいいと言われる。娘にも連絡すると仕事場から駆けつけて来た。家族全員が病室に揃ったのを知ってか、集まってから20分程で静かに息を引き取った。

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結局、このまま治療しなければ余命半年と云われて化学療法を始めたのだが、延命効果は得られなかった事になる。抗がん剤の効き目が得られない場合でも、体力は明らかに削られて行く。

また「延命」とはいいながら、あの呼吸の状態を長く続けさせる事は単に苦痛を長引かせるだけでしかない。これ以上とても「頑張ってね」なんて言えず、「よく頑張ってるねぇ」と言うのが精一杯だった。

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亡くなる数日前、既に酸素マスクが外せない状態になっていた父が、面会終了時刻で帰ろうとする私と妹に向かって、身体を起こしてマスクを外し、僕の手を握りながら「この半年間、いい時間が持てたな。最高の時間だった」と口にした。

自分の病状に付いては周囲に話すなと言われていて、仕事の仲間達からもたくさん心配やお見舞いの申し出を頂いていたのだが、本人が話すなという事だったので申し訳ないとは思いながらあまり語らずにいた。会いたいという人が沢山いるんだから会えばいいのに・・と正直思っていたのだが、この時の言葉でようやく父のしたかった事を理解した。

これまで仕事一辺倒できた父が、最後の半年は時間の許す限り家族との時間を作りたかったということだったのだ。

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葬儀の準備や打ち合わせ、それに自宅にもお見えになる弔問客の皆さんへのご挨拶と、嵐のような時間を乗り切って1月25日に告別式と初七日の法要は無事に終了。月が明けて2月には仕事の月例会議を3本こなし、翌日お寺に49日の法要の打ち合わせを終えて帰って来たら・・・なんとインフルエンザA型に感染している事が判明(^_^;)

週末に開催予定だったパーティーの欠席を余儀なくされてしまったけど、お陰で泥のように爆睡する時間を得たのは有り難かった。ようやくほぼ体調も回復したが、医者から外出を控えるよう言われていたので、ブログを書く時間が得られた次第。


最後に、この半年間で一つだけ後悔している事がある。

それは入院中の父の写真をほとんど撮れなかった事。無論写真が趣味な私は毎日カメラは持ち歩いているし、今日こそはと勢い込んで病室に行ったりもしたのだが・・カメラを出して写真を撮ろうとはなかなか言い出せなかったのだ。当初は本当に病人なのかと思える程の元気があったので、余計にまだまだ先だろうなんて思っていた事も一因。

でも、この間撮影した父の写真はいよいよ病状が悪くなってからのがいくらかあるだけだった。(´ω`)

う〜ん、なんたる不覚・・あの時もう少し勇気を出してカメラを出しておけば良かった。そう思えてならないのだ。画像は残せなかったけど、この半年、病室で語り合った父との会話は忘れられない記憶となって私の中に大切に保存されています(^^)

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